マインドフルネスについて、日本マインドフルネス学会では、“今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、 評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること” と定義している。
この ”評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること” は、”あるがままを観ること”の意である。
ブッダの言ったとされる、八正道の正見のことである。
この正見は、マインドフルネスへの出発点であり、そして到達点でもある。
正見すなわち”あるがままを観る”ことは、われわれの”話すこと”や”行動すること”といった活動する上での最も基本的な認知の基礎を形成する。
私たちは、ものごとの本質を探るとき、科学的方法によって正確を期そうとする。そのためには、他者の観察をもって客観性を担保しようとする。自己修行の場合には、自身を観察し、自身を制御せざるを得ない。このことを避けて通ることはできない。自分で自分を観察することは、いかなる方法を採ろうとも客観的ではあり得ない。
そこでブッダは考えたのだろう。自己修行は客観的ではあり得ない。自身を観察するにあたり、主観的偏向を排除し、客観的視点をいかに涵養するかを。このための具体的アプローチが、マインドフルネスの一連の技法である。
アーナ・パーナ瞑想であり、ヴィパッサナー瞑想であろう。
これらを実践するにあたり、客観的視点を涵養する考え方とそれに向けての豊富なみちしるべがマインドフルネスを実習するにあたりたくさん用意されている。
マインドフルネスは、考え方と実践が一体となったものであり。”誰もが実践可能である”と。

ブッダの最後の言葉には、
「さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう、『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい』と。」